日本財団 みらいの福祉施設建築プロジェクト

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【中編】みらいの福祉施設建築ミーティング<フォーラム>報告

2024年7月6日に渋谷スクランブルホールにて「みらいの福祉施設建築ミーティング ―フォーラム—」が開催されました。そのレポートを3回にわたってお届けします。その第2弾です。

パネルディスカッション2
「『まもる』と『ひらく』をめぐる場のデザイン」

ファシリテーター

  • 社会福祉法人わたぼうしの会 たんぽぽ相談支援センター センター長 江崎真喜氏

ゲスト

  • 社会福祉法人こころみる会 統括管理者・有限会社ココ・ファーム・ワイナリー 工場長 越知眞智子氏
  • 特定非営利活動法人クリエイティブサポートレッツ 理事長 久保田翠氏

登壇者自己紹介

江崎真喜氏(以下、江崎) 江崎と申します。地域で暮らす障がいのある方やそのご家族と接する相談支援専門員をしております。本日は「まもる」と「ひらく」をめぐる場のデザインということで、障がいが重い方や介護度が高い方、その他の事情がある方との関わりの中で、どのように組織や施設を運営して場をデザインしていくかを考えてまいります。まず私から社会福祉法人わたぼうしの会についてご説明し、その後、お二方にお話を伺います。

わたぼうしの会は、社会福祉法人わたぼうしの会、一般財団法人たんぽぽの家、奈良たんぽぽの会という三つの組織で構成されている「たんぽぽの家」の中で、特に社会福祉サービスを実施している団体です。障がいのある子供たちが養護学校を卒業した後も生きがいを持って生活できる地域に開かれた場所をつくることを目的に、障がいのある人とその家族、市民のボランティアによって1973年に発足しました。1994年に日本で初めての障がいのある人のアートセンターとして「アートセンターHANA」を設立し、障がいのある人の働く形として「Good Job!センター香芝」という建物を運営しています。

今日のテーマである「暮らす」ということについて私たちの法人が始めたのは、全国的に珍しい福祉ホームというタイプの施設を運営することです。重度の脳性まひの方や障がいの重い方たちが自立して住める場所づくりを実現する制度を探った結果、福祉ホームという制度を選択して1998年に開設しました。「コットンハウス」は15人の個室には現在40代~70代の方が13人入居しており、開設から26年経って年齢が上がったことで60代の方が中心の施設になっています。脳性まひの車いすの方が多く、知的障がいの方や身体・知的重複の方も入居されています。運営当初からそれぞれの障がいに合わせた住む場所を提供するために各居室にトイレ、流しを設置し、間取りや手すりの位置などは生活スタイルに合わせて設計されました。ただし、年齢が上がることですこしずつ部屋の形も変えています。

一方、2016年4月にオープンしたのは福祉ホーム「有縁のすみか」で、20代~50代の12人が生活し、ショートステイ用の部屋が2床あります。そして居室の壁紙や内装は生活者のオーダーでつくられています。「コットンハウス」は個室重視、「有縁のすみか」はリビングなどの共有スペースを多く設けています。

日々の暮らしには外出プログラムが多く、地域の活動にも参加しています。食堂ではケアに関わる方やボランティアの方と一緒に音楽を披露したり、還暦パーティーをしたり、若いスタッフを中心に足湯プログラムやカレーパーティーを行ったりと、コロナが落ち着いてから少しずつ集いの場が戻ってきています。

「ひらく」形としては、2021年度・2023年度に高齢化する障がいのある人が高齢になったときにどう暮らしていくのかアドバンスケアプランニングなどについての調査研究事業を行いました。「コットンハウス」に入居された脳性まひの方の移動手段の変化を見ると、入居当初の1998年には歩行や歩行器、電動車いすを自分で使える人が多かったのですが、24年経つと介助型の車いすで移動する方がほとんどになり、ベッドでの介助も必要なため部屋をかなり改装しています。同じ人が住んでいても、部屋は変わるということです。そうした各福祉現場の声を外に伝えることも、一つの「ひらく」形だと考えています。

また、「コットンハウス」をつくった時、15人の人が住むためだけの場所でいいのかを組織内で問い直し、地域にも貢献するものにしたいと考えて、一人暮らしの高齢者や障がいのある方への昼食配食事業を行っていた時期もありました。見守りを重視して、糖尿病などの対応も行ったり、障がいのある人自身が配達することもありましたね。

地域に向けては、2017年から「コットンハウス」の食堂で子ども食堂を開設しています。コロナ禍を経た今、食事や食材を取りに来てもらう形と集合する形をミックスして提供しています。

「有縁のすみか」にはカフェを併設しています。「有縁のすみか」という名前は、施設と地域の間にカフェをつくることで縁ができるという意味です。ヨガサロンやアナログゲーム、子供の好きなことを展示する「こどものスキのおひろめ会」などを行い。カフェの一角にはギャラリーもあります。カフェがあることで障がいのある人たちの暮らしが見えるようになり、お客様とすれ違ったり、障がいのある人自身がお客様になったりすることで、地域とつながる機能が生まれています。

江崎真喜氏

越知眞智子氏(以下、越知) 皆さん、こんにちは。私どもの活動拠点は関東平野の端っこにあります。足利市駅を降りて山の方を見ると真ん中に三角形のブドウ畑があり、そのふもとにある「こころみ学園」と、ワインの醸造場「ココ・ファーム・ワイナリー」です。ワイナリーにはショップやカフェがあり、見学コースやテイスティングなどを行っております。またブドウ畑を見ながらワインと食事を楽しるカフェもあります。

5月の連休には、ワイナリーでヴィンヤード・デイズがあります。いろんなワインをテイスティングしていただいたり、「こころみ学園」の知的障がいの方たちがケアしている畑を案内したりしています。また、11月の第3日曜日とその前日の土曜日には、収穫祭がひらかれます。収穫祭はブドウ畑でただワインを飲むというだけのお祭りですが、園生たちはたくさんのお客様をお迎えするためのスタッフとして活躍し、ブドウとワインのぬいぐるみを着てお客様をお迎えしています。これが私どもの「ひらく」の実践です。

社会福祉法人こころみる会は、今年で55年目になる障がい者支援施設です。現在、入所者の定員は90名、グループホームは6つあり、定員は24名です。日中通所される方もいらして約130名の方たちが利用されています。比較的知的に高い方は障がい者雇用で職員として5名ほど働かれています。その方たちも含めますと合計で135名の方たちが活躍されています。最年長は89歳の女性で、1人は入所施設、もう1人はグループホームで生活されています。一番若い方は19歳の男の子で、10代は彼だけです。年齢構成としては、20代が8.2%で、30代が16.3%、40代が13.3%、50代が14.8%、60代が15.6%、70代が27.4%、80代が3.7%です。10代20代の方たちは自宅から通ってくるか、短期入所を利用して入所の空きを待っている方たちです。

「こころみ学園」では様々な作業を行っていますが、作業の中心を担っているのは30年以上ここで暮らしている50代の方たちです。中には車椅子になった方もいますが、現場で働いている方も多く、50代60代70代が学園の様々な作業を支えています。障がいの重い方も大変多く、ほとんどが区分6の方で62.2%を占め、そのうちの多くの方は強度行動障がいを持つ方たちです。

施設自体は55年経ちますが、ブドウ畑は66年経っているんです。これは私の父、創始者の川田昇が始めたものです。彼は中学校の教員でした。彼が見ている生徒の中の数名は授業が始まると寝てしまい、その子たちの手がまるで赤ちゃんのようにぷにょぷにょで真っ白ななことに気づきました。

実は父は3歳からお酒を飲んでいたせいか、頭があまり良くなかったようで、「小学校に行くんだから晩酌やめろ」と言われていたようです。学校へ行っても勉強ができず、先生に「ダメな子」とレッテルを貼られてしまいました。授業参観でも他の子のように褒めてもらえず、せっかく来てくれた母親に叱られると思っていたら「のぼ(父は幼い頃そう呼ばれていました)、大丈夫だ。百姓はな、仕事ができれば、まんまが食える」と言って抱きしめてくれたことが心に残っていました。

そんな経験から、父がぷにょぷにょの手をした子どもたちに会ったとき、「このままではこの子たちは自分で生きていけない」と考え、授業をやめて現在の山にブドウ畑を開墾し始めました。66年前のことです。子どもたちと一緒に雑木林を手作業で伐採し、根っこを掘り出し、そこへ倒した木から払った枝を入れて更地にし、そこへブドウを植えました。最初に植えたのは生食用のナイヤガラとキャンベル・アーリーでした。お盆の前後に2週間で1万箱ほど採れましたが、売るのがとても大変でした。そこでワインに加工することを考えのですが、当時は、社会福祉法人には醸造免許は与えられないと言われてしまいました。なぜなら、社会福祉法人は税金を使って運営するところなのに、逆に醸造の免許を取って酒税を収めるという前例がなかったからです。しかし、幸い保護者の方の中に国税庁のOBがいて、その方が会社をつくることを提案され、有限会社を設立しました。賛同してくださたったご父母の出資で1980年に樺崎産業という有限会社を立ち上げ、果実酒醸造免許を申請しました。1984年に12,000本の仮免許が下り、1986年に本免許が下りたことをきっかけに有限会社ココ・ファーム・ワイナリーと社名を変更しました。株主は最初に出資してくださった保護者の方々でした。

以上が「ひらく」に関するお話で、「まもる」に関してはクロストークのところでお話しできればと思います。

越知眞智子氏

久保田翠氏(以下、久保田) 認定NPO法人クリエイティブサポートレッツの久保田と申します。浜松からまいりました。私は武蔵野美術大学で建築を学び、その後東京藝大の大学院で環境デザインを専攻しました。まちづくりが専門だったのですが、久保田たけしという息子の誕生によって人生が変わってしまい、今に至ります。レッツという団体は今年で20年目を迎える認定NPO法人です。社会の「あたりまえ」なんてお構いなしに、あるがままを貫き通す重度の知的障がい者たけしとの出会いによって、認定NPO法人クリエイティブサポートレッツが生まれました。私たちは、障がいや国籍、性差、年齢など、あらゆる違いを乗り越えて共に生きることができる社会づくりを目指すアートNPOです。

たけしは28歳の青年で、重度の知的障がいを持っています。現在も食事や排泄が自分でできず、寝たきりではありませんが、強度行動障がいを持つ、障がい支援区分6のかなりスペシャルな障がい者です。彼によって私は突き動かされ、やるつもりのなかった福祉の分野で活動を続けることになったというのが現実です。彼は常に入れ物を持ち、その中に石を入れて叩き続けるという行為を365日、ほぼ寝るとき以外は続けています。12年間通った特別支援学校ではこれは問題行動であり、それを取り除くために様々な訓練をしてきました。でもたけしは石を入れ物に入れて叩く行為だけは手放さなかった。彼が一番大切にしているこの行為を“彼の表現”と捉えないと、彼の人格のすべてを否定することになると考えました。

そこで私たちは「たけし文化センター」という奇妙な名前の事業を始めました。久保田たけしのやりたいことを文化創造の柱にするというコンセプトで、これを基にした障がい者施設を2010年にスタートしました。

「たけし文化センター連尺町」は浜松駅から800mしか離れていない中心市街地で運営している3階建ての建物で、日本財団の支援を受けました。また、強度行動障がいもある重度知的障がいの方々の施設が併設されています。わたしたちのところは一切作業がありません。たけしは一日中入れ物に石を入れて叩き続けたり、紙を破ったり、スタッフがガチャガチャと何かを叩いている音に合わせて踊りまくったりしており、20人ほどいる同じようなタイプの人たちが自分のやりたいことをやりきる場所として運営しています。施設の3階には、これは日本財団さんの英断でできたものですが、一般の方が泊まれるシェアハウスとゲストハウスがあります。そこにたけしを含めた3人の重度知的障がい者も重度訪問介護を利用しながら生活しています。グループホームではありません。

文化センターでは、障がいのある人たちがいる中で毎月ライブやクラブイベントが行われており、お客さんとたけしたちが喧騒の中でお話する哲学カフェ「かたりのヴぁ」、彼らの日常を映像にして配信する「のヴぁてれび」などがあります。

浜松は福祉が充実しているものの、施設は車でしか行けない郊外にあり、高い塀に囲まれ鍵のかかった隔離施設のような場所に通うことに疑問を感じていました。そして放課後、どこにも通うところがなくて死にそうになるんです。ですからたけしが成長するにつれ、彼のために施設をつくる必要が増していきました。重度の知的障がい者は囲われることが多いですが、彼らは人が好きで、人との出会いを通じて様々なことを感じながら生きていくべきだと思っています。人間は、苦しみも喜びも悲しみも全部人からやってくるんです。地方では住宅街にいても人と出会わないので、人と出会えるまちなかで施設を運営しています。

久保田翠氏

ともにつくり、ともにお墓に入るまで「まもる」

江崎 ここからクロストークです。
まず越知さんに「まもる」についてもお話いただきます。

越知 先ほどお話ししたように、「こころみ学園」と「ココ・ファーム・ワイナリー」は全く別の組織ですが、実際にはお互いに助け合いながら運営しています。まずワイナリーはブドウの栽培技術を学園の人たちに教えています。園生は一生懸命ブドウをつくり、そのブドウをワイナリーに納品しブドウの代金が支払われます。またブドウの他にシイタケやクラフト製品もつくっていて、ワイナリーのショップで販売し、その売上も収入になります。さらにワイナリーでは、ブドウをワインにするための仕込み作業やワインの瓶詰め作業の際に園生が手伝いに入り、それに対して労賃として人数×時間で賃金を支払うことになっています。そうした収入は、年に1度園生に工賃として分配されます。また、施設はワイナリーにワイナリーに醸造場の建物を貸すことで家賃収入を得ています。これは平成15年から社会福祉法人が収益事業を行うことが認められるようになってからのことです。

施設では6つの班に分かれて活動しています。重度の障がいを持つ方々は、原木シイタケを移動する作業がメインとなっています。シイタケの原木を持って斜面を移動する作業を通じて心身のコントロールがついてくることもあるんです。草刈り班はブドウ畑や近隣の農家の田んぼなどで草を刈ります。ブドウの手入れをするブドウ班の人たちは2ヶ月間で約20万枚の傘をブドウにかけたり、熟して酸が落ち腐ってしまったブドウの粒を一つ一つ手作業で取り除いたりします。収穫時に傷んだ実を取り除いてから収穫しています。冬場には越冬する菌を落とし、害虫が卵を産みつけることを防ぐためにブドウの表皮を剥ぐ作業もあります。クラフト製品をつくっている班の方々は、羊のぬいぐるみや紙すき、使えなくなった樽を磨いてショップで販売するなどの活動をしています。年齢を重ねて急斜面での作業が難しくなった人たちは、洗濯班として入所の方の洗濯物をすべて請け負って室内で作業を行っています。かつてガンガン作業をしていた方々も、歩行が困難になってくるとやれることがなくなってしまいます。するとそんな自分自身に腹が立つようで、喧嘩が始まっていました。そこでブドウを剪定した枝を炭にするために細かくする作業を行ってもらったところ、喧嘩もなくなりました。それからは何かしら役に立つ作業をいろいろ考えながら過ごしてもらっています。

また、看取りのできるグループホームをつくりました。看取りを行うためにちょっと離れた場所に部屋を設け、ご家族や職員が訪れても他の方々が休めるようにしています。実はこころみ学園にはお墓があり、亡くなった方を分骨して納骨堂に収めているんです。「ここで暮らし働いた人たちの墓」と墓碑に記されていて、墓誌には私の父を含めて60名弱の方々の名前が刻まれています。宗教もさまざまです。もともとそこは造り酒屋さんの墓地だったのでお墓をつくれたんです。これが、わたしたちの「最後までまもる」ことです。

最後に、ワインをつくる人たちのことを、私どもはワインメーカーではなくワイングロワーと呼んでいます。なぜなら、ワインはつくるというより育てる、グローイングする作業だからです。ワイングロワーたちはブドウがなりたいワインになれるように見守りながら発酵を進めています。ブドウの皮についている野生酵母は気まぐれで不器用だから、発酵中に何が起こるかわかりませんが、樽を覗けばたくさんの種類の野生酵母が次から次へと交代で力を発揮し、助け合いながら懸命にワインをつくっている姿が見てとれます。「その姿は、園生たちとそっくり」と言います。できないことや得意なことがある一人ひとりが、それぞれに活躍できる場を提供することが、ココ・ファームのワイン造りです。

制度の外にいる人々にひらけば、福祉施設は社会資源になる

江崎 ありがとうございます。それでは次に久保田さん、「まもる」よりも「ひらく」活動をされているとおっしゃっていましたが、3階の暮らしの場での暮らし方や運営のしくみを教えてください。

久保田 私は重度の知的障がいのある方々と一緒に生活していて思うのは、彼らが社会に出られないのは彼らのせいではなく、社会側の問題だということです。3階には一般の方も泊まれるシェアハウスとゲストハウスがあり、重度の知的障がいを持つ方も3人生活しています。年間1000人ほどのお客さんが訪れ、いつでも開いている施設なので、見学も自由です。毎月「タイムトラベル100時間ツアー」というツアーの開催時に参加者が泊まっていったり、旅をしている若者が3ヶ月ほど滞在してアルバイトをしていったりと、障がいのある方々と一般の人々が一緒にいられる場所です。

現代の社会は重度の知的障がいのある人に会ったことのない人がほとんどです。そんな社会で共生社会を語っても、進展しない。だからこそ出会うことが大切です。ツアーでは、日常の様子をそのまま見てもらいます。喧嘩していたりパニックを起こしていたり、トイレの失敗なども見ちゃいますけど、それも含めて現実です。こんなところは見せられないなどと言っていると、どんどん引きこもっていきますからね。

まちの中で活動していて思うのは、まちってすごいということです。道で寝転がって大きな声を出したりパニックを起こしていても、意外と寛容に受け入れてくれます。お店に行くと、時に店内で物を持ち出してしまうこともあるけれど、お店の方々は「もっと大変な人も来ますから」と言って許してくれるんです。酔っぱらいよりはいい、というね。

重度の知的障がいのある人たちと出会わないと、共生社会は実現しません。福祉施設は国の事業だからこそ、ひらくべきだと思うんです。私は10年あまり福祉制度を使わずに活動してきて、人と場所を確保するのがどれだけ大変か骨身にしみて分かりました。でも福祉施設は人と場所が確保でき、利用者さんを含めいろんな人達がいる。そこをひらけば福祉制度には乗らないような、居場所のない人々や放浪する人々を受け入れる社会資源になります。福祉施設にはまだまだやれることがあると思っています。

江崎 ありがとうございます。たしかに障がいのある方々への障がい福祉サービスはいろいろ存在しています。一方で、引きこもりの方や学校に行けない子ども、高齢で一人暮らしの方などはその外側にいて、実は障がいのある人たちは恵まれているのかもしれないと感じることもあります。国がお金を投じたり、日本財団さんから助成金をいただいたりして整備する社会資源は、はたして障がいを持つ人たちだけのためにあるべきなのかと考えるべきかもしれません。

質疑応答

私は福祉とは関係ない業界で働いているので、福祉施設に行くのが怖いと感じることがあります。街の中に出ていく活動や、ワインのブドウ園を見ながらワインを飲む形で地域の人たちを巻き込んで活動されている印象を持ちました。地域の人たちに愛され、来やすいようにするためにはどんな工夫をされているのでしょうか?

江崎 私たちはよくお祭りや音楽祭をやったり、ギャラリーとカフェを運営したりと、地域の方々が実際に見学に来られる手段や機会をつくって距離を縮めています。

久保田 今、浜松市のまちづくりが進みつつはあるのですが、実は私たちが率先してまちのステークホルダーたちと「浜松ちまた会議」というプラットフォームをつくりました。また、コロナのときにまちの中心市街地が静かになってしまったことともあり、まちのど真ん中にできてしまった1400坪の空き地を借りてイベント開催もしています。まちづくりは基本的に誰がやってもいいわけですから、思いのある人が主体的に動くのが大事だなと思っています。

越知 私たちはワインを造っていることが強みです。最近、社会福祉法人でも免許を取れるところが増えてきて、見学に来られる方も多いです。お酒ってなかなか魅力的ですよね。

精神科で保健師をしつつ、ライフワークとして地域おこしをしています。精神障がいの方々と一緒に任意で15年活動してきたので法人化を考えていますが、それも身動きが窮屈になるのではないかと逡巡しています。事業を立ち上げる際の決意や切り替えのタイミングについて教えてください。

久保田 基本的には、やむにやまれず立ち上げたというのが正直なところです。また、福祉の仕事はきちんとしているべき部分ととっても緩い部分とがあり、上手にやりくりしながらいかに楽しい時間を積み上げることかが重要だと思います。それが、福祉の醍醐味です。監査を通らないほど緩いのはダメですが、なんとかやりくりしてやっていけばよい。やりたければ立ち上げてしまえばいいと思います。私自身は娘も結婚して家を出ていて、生活全般は一人で何でもできてしまう状況ですが、これって駄目なんですよ。コミュニティをつくるにはいろんな人に助けてもらう状況をつくることが大事です。

越知 創始者だった父の話ですが、中学校の特殊学級の子たちとブドウ畑をやっていたら教育委員会に叱られ、県立の立派な施設の立ち上げに関わりました。そこでは入所していた人たちが近所の酪農家に勤めるのですが、なぜか戻されてしまい、理由を聞くと、仕事はできるけれど家のつくりのことで文句ばかり言っているとのこと。立派な施設に慣れてしまった知的障がいの子たちは当時のごく普通の農家の暮らしに満足できなくなってしまったようでした。そこで父は、ほどほどに貧しい中で自分の力で生きることが大事だと考え、補助金なしで施設を立ち上げました。ただ、父についてきてくれた何人かの方には、法人格が下りるまでの最初の1年間は無報酬で働いていただくなど苦労が多かったようです。社会福祉法人になると面倒なこともありますが、頼れるところは頼っていくのが良かったのではないかと、わたしは思っています。

江崎 最後に一言ずつ、「まもる」と「ひらく」についてお願いします。

越知 私にとって「まもる」は、知的障がいのある方々が私たち以上にいろんなことができることをアピールしたいということです。そのための場所がワイナリーであると思っています。お財布の違う2つの組織ですが、園生と関わる人ことが楽しくてしょうがないという気持ちでいる、それがとても大事だと思っています。

久保田 ただ普通に生活したい、普通に活動したいということです。それを許してもらえない社会だから、我々から自らひらいていくしかないのです。我々はちょっと変わっている団体ではありますが、自由に生きるための選択肢の一つとしてレッツがあります。みなさんもいろんな選択肢をつくっていただければいいなと思います。

江崎 ありがとうございました。

→【後編】へ続く

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