日本財団 みらいの福祉施設建築プロジェクト

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みらいの福祉施設建築ミーティング<スタディDAY2>報告

Text:遠藤ジョバンニ

「みらいの福祉建築ミーティング―スタディ―」のDAY2が2024年8月1日にオンラインで開催されました。このセッションは福祉施設建築に携わる建築家の方々をゲストに、みらいの福祉施設建築を実現するために必要な具体的なヒントや気づきを見つけるためのトークセッションです。

参加者は219名。とくに福祉分野の参加者が約半数を占め、新しい福祉建築のヒントを得ようとするみなさんの意欲の高さがうかがえました

トークテーマは「建築家からみた福祉、福祉施設」。近年、建築業界では福祉施設がアワードや専門雑誌で取り上げられるなど、制度を体現する管理的な「ハコモノ」を建てる時代から、少しずつ情勢が変わりつつあります。今回は3名の建築家をゲストに、第三者として福祉に関わるなかでの発見や理想的な協働のかたちを、日本財団・福田がうかがいました。

今回は、このトークイベントの模様を、レポート形式でお伝えします。

ファシリテーター

  • 日本財団 公益事業部 国内事業開発チーム リーダー 福田 光稀

ゲスト

  • トミトアーキテクチャ 代表 冨永 美保氏
  • 株式会社山﨑健太郎デザインワークショップ 代表取締役/工学院大学教授 山﨑 健太郎氏
  • 建築家/仲建築設計スタジオ共同代表 仲 俊治氏

建築家からみた福祉と福祉施設

トークはゲストである3名の建築家の自己紹介から始まります。まずは神奈川県横浜市にある設計事務所・トミトアーキテクチャ代表の冨永美保さんから。宮城県仙台市の社会福祉法人ライフの学校をクライアントに、4つのプロジェクトにかかわるなかで得た所感やエピソードについて語りました。

冨永美保氏

冨永美保氏(以下、冨永)「嫁入りの庭」という、特別養護老人ホームの前庭改修プロジェクトでは「みんなで長い時間をかけて耕していけるような場所がほしい」という要望やその土地に住む高齢者のライフスタイルからヒントを得て、入居者が自宅から施設へ引っ越す際、庭の木や家具を一緒に運び込んで、庭に植えられるようにしようというコンセプトから提案し、一緒に設計をすすめました。

福祉施設のお庭だし、基本車いすや歩行器で行きやすくしないといけないんだろうなと思っていたのですが、代表の田中さんやスタッフからは、むしろお年寄りが「連れていってほしい」と言えるような場所にしてほしい、そのひと手間のコミュニケーションがすごく大事だから、安全面を考慮した舗装はそこまで完璧に考えないでいいと言われて。自分自身の中にあった「福祉施設」の固定概念みたいなものが、崩れていく衝撃的な瞬間でした。


街に対して、施設のあり方や人々の暮らしをひらくことで、思いもよらないことが巻き起こり、それ自体が「計画では見越せない価値だ」と楽しさを感じた冨永さん。また、今年1月に完成した特別養護老人ホームを核とした複合施設「六郷キャンパス」の空間設計を考えているとき、福祉サイドからまた印象的な言葉を聞いたといいます。

冨永 スタッフの方からよく「スタンスがすごく大事だ」という言葉をいただきました。誤飲時にはスタッフがすぐに駆けつけられることは重要だけれども、利用者さんの全てを監視できるようにする必要はないと。そんな生活の場を成立させるためにどうしたらいいのかを双方で相談しあいました。あと、施設で最期を迎える方も多いから、看取りをするときこっそり泣けるようなちょっと隠れられる死角の場所、「逃げ場」がほしいという話がありました。こういう要望は、どの福祉建築の教科書にも絶対に出てこない、だけど大切な現場の生きた声だと感じます。誰でも行ける場所と、逃げ場としての“空間のひだ”を多数つくることを意識して、整理しながらつくっていったプロジェクトでした。


続いて、株式会社山﨑健太郎デザインワークショップ代表取締役の山﨑健太郎さん。有限会社オールフォアワンと計画した、高齢者デイサービスを主に、カフェスペース、公衆浴場などの機能がある福祉施設・52間の縁側(千葉県八千代市)を紹介しました。

山﨑健太郎氏

山﨑健太郎氏(以下、山﨑)52間の縁側は、「制度に頼る」デイサービスではなく「地域で助け合う」デイサービスにしていこうと、プロセスを大切にしながら7年の年月を掛けて進めていったプロジェクトです。ここには子ども、外国籍のスタッフ、高齢者も障害者もいて、代表の石井さんたちはこれを「ごちゃまぜケア」と呼んでいます。ここに来ていきなり交流することは難しいかもしれませんが、それぞれが空間を共有することや一緒にいる雰囲気をつくることが建築にはできる。そのごちゃまぜと地域を結びつけようと、この縁側のある建築をみんなでつくってきたのではないかと感じています。

ですが地域との関係をつくることは簡単にはできないから、庭づくりのワークショップに参加してもらったりしながら、ゆっくりと関係をつくっていきました。信頼できる地域をつくっていくことがきっと大事なんだと考えています。地域の皆さんも「安心して老いていける地域がないと困る」と思っているからこそ、協力してくれているのではないでしょうか。

この施設は長い縁側なので玄関もないし、インターホンもないし、どこからでも入れます。それに縁側って同じ方向を向いて座りますよね。石井さんは「ケアにおいても大切なこと。同じ方向を向くんだ、サービスにしちゃいけない」と語っていて、ものすごい思想だと思いましたし、建築がそういう関係性を後押しすることができるのではないかと感じました。


7年に渡るプロジェクトを終えて「建築をつくることは、“大きな全体の始まり”にしかならない」と振り返った山﨑さん。施設に行くと、お年寄りの側に子どもがいて笑いあっている。そうした豊かな光景を「いつもお正月みたいな雰囲気」と表現しました。

最後は、仲建築設計スタジオ代表の仲俊治さん。自著に『2つの循環(LIXIL出版)』、『都市美 第2号(左右社)』への寄稿など執筆経験も豊富な仲さんは、建築の分野に進むまえから福祉施設を利用するご家族の姿を目にして、その「施設っぽさ」について考える機会が多かったといいます。

仲俊治氏

仲俊治氏(以下、仲)福祉施設は社会に多々あって、さまざまな種類に細分化されていますが「本当に自分が住みたいか、あるいは使いたいか?」ということを考えたとき、なかなか当時の自分は「うん」とは言えませんでした。今と昔で状況は変化してきていると思うのですが、そういう経験が根底があるので、福祉施設の設計を考えるとき「施設っぽさみたいなものは、どこから来るのか?」とよく考えます。

「家のような福祉施設」という言葉を耳にしますが「家とはなにか」を定義しないまま手がけてしまうと、一見すると家に見えても、実際はリビングが薄暗かったり窓が遠くて環境を自分で調整する気も起きなかったり……生活空間として十分に設計されていない事例がけっこうあります。8年ほど前に、重度の知的障害者がくらす建築の設計をしまして、「施設から住まいへ」を合言葉にしていたのですが、建物周辺の柵について福祉法人のみなさんとディスカッションすることがありました。そこでは、「ここにいたくないから逃げようとする。ここにいたいと思えるようにすれば、柵なんていらないのでは?」と意見が出て、あくまで自分ごととして考えることの大切さについて、非常に学びがありました。

もうひとつ、建築ができることとしては、自然の力、熱や光、風などを取り入れて居心地のいい場所を維持することだと思います。「今日は暖かいね」「雨だけど楽しいね」と、どこであっても地球のなかに自分がいる感覚を失わないような設計を、私も心がけてきました。また「空間」があることも大切で、空間を軸にして、さまざまな人が出入りするイメージを持ちながら、地域のなかに居場所をつくっていくことができたらと考えています。


と、建築という機能面についても触れながら、福祉施設が「建築」というフィルターを通すことで、制度や決まりごととは違う次元で「地域と関わっていけるチャンネルになるのでは」とその可能性を示しました。

ハードが人を無意識に教育してしまう恐ろしさ

それぞれの自己紹介も終わったところで、トークセッションへ。地域になじみ、ひらかれた施設にしていくために、どんな要素が必要なのでしょうか。まずは仲さんが投げかけた「施設っぽさ」というキーワードを軸に考えていくことに。その要因を紐解くなかで、制度や管理の観点が浮かび上がってきます。

冨永 たとえば共同生活室にすべての居室を面するようにするなど、制度や管理の仕組みをそのまま空間化してしまうことが、一人ひとりの顔がみえない「施設ぽい」空間へと自然に導いてしまうのかもしれませんね。管理のためだけの空間ではなく、生きた生活の空間として考えることがとても重要だと思います。例えば隣に住むおばあちゃんと自分では、全然違う人生を歩んでいるはずなのに、最後は同じ施設の同じような部屋に住んでいることで、全く同じように語られてしまう。朝同じ時間に起きて、同じ時間に歯を磨いて、ご飯も同じものを食べる、同じ食器で……それ自体に慣れてしまい、人を無意識に「そういうものだ」と慣れさせ、教育してしまう。それがハードをつくるうえでの恐ろしさだと思います。

福田 そこからの脱却についても皆さんと考えていきたいのですが、閉じられた施設ができてしまう要因は制度や資金、歴史の問題などがあるかもしれません。そもそも建築業界のなかでの福祉施設はどういう位置づけにあったんでしょうか。

仲 これまでの福祉建築のデザインの傾向として、入居人数によって自動的に一室あたりの平米数が決まって、自然と部屋の並びも大きさも決まっていく。そうしたフォーマットにしたがった設計方法が、全国津々浦々で同様に行われてきた。それが従来の流れかもしれません。管理者目線でつくられたそのフォーマットは、行政の補助金を受けるための諸条件に投影され、結果的に、フォーマットを強化することに繋がったでしょう。逸脱すると、補助金はもらえませんから。そういった考え方は大量生産の時代には仕方ない部分もあったと思いますが、現在は人口も減っていますし、改めて考えなおすフェーズに差し掛かっているのではないかなと思います。

山﨑 どうしてそうなってしまうかというと、これは福祉建築を設計するうえでの「難しさ」と関係があると思います。まず僕は現時点で認知症ではないし、障害者として生きたことがない状態で、建物を設計しなくてはいけない。フォーマットはある種の正しさに基づいていますから、建築側はついそこに頼ってしまう。だからそこに固有のデザインが入る余地がなかったのかもしれません。

冨永 それに、最近の福祉制度や法律は比較的すぐ変わりますよね。ルールが変われば、必要とされる面積や要件も変わりますし、それならば改変が起こることを前提に、建築も計画されるべきなのではないか、どう建築も変われるか、みんなで考え相談しながら進めていくことが必要なんだろうと思うところです。

「林のなかでお風呂に入りたい」から一緒に出発する

フォーマットからつくるのではなく、長い年月をかけたコミュニケーションや、施設や地域へ足を運び、クライアントとともに対話を重ね、オリジナルの空間づくりに向き合っている3名。では福祉施設を設計していくに当たって、クライアントである福祉事業者と、どうコミュニケーションをとっていたのでしょうか。

冨永 絶対にわかった気にならないように心がけていました。事業者とのヒアリングでは「こうしてほしい」という要望よりも、「これは私たちのケアにとって大事なことなんです」「利用者さんの気持ちを考えてこういうことがしたいんです」という切実な意見をいかに聞かせてもらえるか、深掘りできるかが、プロジェクトを進めるうえで重要でした。

山﨑 僕は52間の縁側の計画段階で、事業者からはあまり多くを求められなかったんですよ。だからこそそこで「建築は人の手が加わるととても自由になる」ということに気づきました。段差があっても、ちょっと手を貸すことで、すごくほほえましい風景になる。スロープをつくってしまうと「1人で上がってください」という建築のメッセージになってしまうのではないかと感じています。人の手が加わる余地を残しておくというふうに建築の役割を変えていくと、建築そのものも豊かになるのではないか。建築は弱く手をかけていく存在だと認識されたら、その場にいるみなが使いこなしてくれるようになるのではないかと思っています。

福田 建築へ手をかけていく、という捉え方は、「設計条件を提示しなくては」と考えている福祉事業者からするとあまり馴染みがない考え方かもしれませんね。

山﨑 これはここにいる3名ともそうだと思うのですが、最初から要件をばっちり出されるよりも、僕らは一緒に考えて発見していきたいと思っています。合意形成なんて難しいことを言わなくても、出来上がってきた模型を見て心が動いて、思わず椅子から背中が離れる瞬間がある。そういう「無言の合意」が生まれる瞬間を、建築はつくってあげられると思います。

仲 よくわかります。設計のデザインは、たとえば「林のなかでお風呂に入りたい」みたいな声から出発することもあるんです。調べていくと、施設は大きいお風呂にユニットごとで一斉に入るから入浴時間も限られていて、「今日は疲れたからゆっくりお湯に浸かりたい」と思ってもそれが難しいことが背景にあることがわかる。そこから「ゆとりをもって自分のペースで生活したい」というニーズがあると把握して設計に活かしていきます。だからまとめられた企画書よりも実は、「こういうことがしたい」「こういうものがほしい」という対話のほうが、我々にとって大切なんです。

不便なことによって豊かな場面が生まれる

福祉事業者や施設を利用する人々の声を受けて、設計の骨子へと変換していく。その対話の重要性について語り合ったあと、話題は「事業者との対話のなかで衝撃的だったこと」へと移っていきます。冨永さんが自己紹介のときに語ったエピソードと同様に、どうやら仲さん、山﨑さんもそれぞれの現場で、同じようにリスクに関する考え方が揺らぐ出来事があったようでした。

仲 いつも同じ場所で怪我をしてしまうようなことは避けるべきですが、人間誰しも暮らしていれば怪我をしたり転んだりすることも、ゼロではありませんよね。だから当時のクライアントからは、完璧なリスクゼロを目指すよりは必要だったら手を貸す、声を掛け合う。痛い思いをすれば繰り返さないし、自分自身が成長する環境のほうが刺激があっていいのではと言われたことが衝撃的でした。

中庭の設計をてがける際、雨を流すための浅いへこみをつくることになりました。皿形側溝というものですが、へこみがあって落ちると危ないからと柵を付けたり、植え込みで近づけないように仕様を検討していたら、「どんなことをしても、飛び込む方もいるから、やり過ぎないでいいんだよ」と。「そうか、落ちれば危険だとわかるし、そういうところには近寄らなくなる、自分だったらそうだよな」と納得して、背中を押してもらって図面を引き始めました。あれは自分の想像を超えたリクエストでしたね。

山﨑 この話題は仲さんが相当勇気を出して喋ってくれていると思います。僕も同じように、もっと言うと過激に言葉をかけられた経験があります。「ここでは想像以上のことが起こるから建築で考えるのも限界がある、だったらもっと別のことを考えて」と。あまりに危険すぎるものをわざわざつくる必要は当然ありませんが、過度にしすぎなくてもいいのかもしれません。

冨永さんがハードの恐ろしさについて、仲さんが柵の設計について話していたように、安全のために施したものでも、同時に何かを排除するようなことも起こり得ます。ここは施設を運営する人々の考え方に関わってくることだから、しっかりと対話する必要がある。と同時に、不便なことによって豊かな場面が生まれることもあるんだと、このトークを見ている方々へも伝えたいですね。

設計を依頼するときに知っておきたい契約や報酬のこと

ここまで具体的な設計のエピソードについて触れるなかで、設計に移る前のヒアリングやリサーチなどにも相当な時間がかかっていることが垣間見えてきました。では福祉事業者側は、よい関係値を構築するためにも、設計者への依頼時にどんな「報酬」や「契約」の取り決めをしたらよいのでしょうか。

冨永 設計は長期的かつ責任ある仕事なので、契約を結びます。基本的には国交省が出している「業務報酬基準」から建てるものに応じて設計料を算出して、金額や期間の相談をします。その際には「こんなにお金も時間もかかるのか」と驚かれる方も多いかもしれませんが、そういうときは人間同士「じゃあどうしよう」と相談するのがいいと思います。

仲 設計はおおまかに3つのフェーズに分けることができます。なにをつくろうかとあれこれ考える「基本設計」。方針が決まったら、工事のための図面を細かく描く「実施設計」。施工が始まって、第三者の目線で工事の進捗をチェックしたり、設計図通りできているかをチェックする「工事監理」。国交省の告示もそれに基づいていて、費用が算出できるようになっています。告示だとそれぞれ「基本設計」と「実施設計」で3:7の割合、「工事監理」も入れると3:7:3程度。ですが、実際の現場では「なにをつくろうか?」からディスカッションして、言葉にならない声を一度かたちにする。そこからさらに意見をもらって再度練り直すので、方針を打ち立てるところに労力がかかります。なので私の感覚的には「基本設計」「実施設計」は5対5ぐらいのイメージを持っています。

実は、さらに最初の「基本設計」より手前で、ゼロから考える「基本計画」や「企画調査業務」と言われるフェーズもあるのですが、まだあまり認知されていません。「基本設計」やその手前に対する作業量がそれなりに多いことを、この機会にみなさんへ伝えたいところですね。

人間が生きていく環境を考えること、そのもの

トークセッションも終盤。オンライン配信の参加者からも、多数のコメントや質問が寄せられました。また、最後にはそれぞれが感じる「福祉施設を設計すること・関わることの魅力」について話し合いました。

10人いたら10人の暮らし方がある中で、多数の声をどのように建築にデザインできるのでしょうか?

冨永 環境の単位をつくるのが建築の仕事なので、全員が自由にいられるようにすることもできるし、一つの輪にもなれる。そんな空間はつくれると思います。アクティビティ、活動、居場所をいくつか選べると思えることは、生活の場においてはすごく大切なことなので、その掛け合わせをどうするか。そこを両者で話し合って決めていくのが重要なのではないでしょうか。

居場所を考える上で、居心地のよさをどのように考えるべきなのでしょうか。

仲 さまざまな基準がありますよね。暑い・寒い、集中したいなどの行動、朝や夜の時間帯、景観や見通しのよさが大切なこともあるでしょうし。

福田 居場所をつくるとき、事業者側は具体的にどんな情報提供をしたらいいんでしょう。

冨永 教えてもらえてよかった一例として、以前担当した高齢者のデイサービスで、日光を浴びると目が痛くなってしまう方がいて、その人が来る日はカーテンを締め切ることになってしまっていると聞きました。自分がもしその方なら、周囲を付き合わせてしまって、気まずいかもしれない。みんなの居場所を考えるうえでは、複数の居場所がなかったためにこういうことがあった、ないしあったからこういうことが出来た。具体的に良かった点・悪かった点を教えてもらえることで、この福祉サービスの種類で起こることや大切にするべきことなどが理解できるのではないかと思います。

建築家さんがこのように意見を聞いて設計してくださっているとは思いませんでした。 どのように意見が出るように関係性を築かれたのか。あとは行政、地域、現場から反対がある場合はどのように対応されたのでしょうか?

冨永 関係は築けたものの、すべて汲み取れたかというと、完璧ではないだろうとはいまだに思います、難しいですね。反対意見が出たときほど、福祉事業者や工事業者と作戦を立てました。納得してもらえるよう、出来上がったときに「よかったね」と言ってもらえるように動けたことは、今思えばそこがチャンスになっていたと思います。

一つ目、建物を建てるときに、10年先20年先、さらに先を思い描いて設計されると思いますが、そのときに気をつけられていることがあれば教えてください。二つ目、クライアントのオーダーがこの一つ目と反するとき、どうされていますか?

山﨑 僕や関係者がいなくなっても、建築は残っていきますから、そういうものをつくる視点へ切り替えるということですよね。たとえば、死生観のような価値観もここ数十年でかなり変わってきました。だから病院の設計を担当したとき、ご遺体を入口からも裏口からも出せるようにしておく必要があって、「現時点はこうだから」と話すクライアントと議論したこともありました。それは嫌われてでも言わなければいけないことの一つだから、勇気を出して話しましたね。

福田 では最後に「福祉施設の設計に関わることの魅力」について、みなさんから一言ずついただいてもいいですか?

冨永 本当に大きなテーマですが……福祉建築を考えることは「どういう場所が居心地がいいのだろう、そして最期までいたいと思えるだろう」と、人間が生きていく環境を考えることそのものだと思います。制度やお金や工期、闘わなければいけないものもあるなかで、それを実現させるためには本当に一緒に悩めるチームでないと厳しいかもしれない。でも私としてはやってよかった、人生の仕事です。

山﨑 ひとつは制度や効率、合理性から建築を考えるのではなく、人から建築を考えられること。それは僕ら設計者にとってすごくいい仕事、幸せなことだと思います。もうひとつが先程リスクの話題が出ましたが、それを上回る希望や豊かさがあるとき、リスクをとってでもそうしようと、勇気が出せるんですよね。その希望を建築の設計を通して一緒に見つけていける、これは非常に意味のあることなんだと感じます。

仲 福祉施設は、つながりの中にあるようなものだと思っていて、それをもっと豊かにすることができると思っています。さまざまな人が関わったり、出来事が起こる場所や空間がつくれたときに、やってよかったと思いますね。福祉は「サービスを提供する側」と「利用者」に分けられて、固定されがちじゃないですか。でもケアされている人の姿を見た側が楽しい・嬉しい気持ちになることもあるし、子どもや高齢者が介在してくると、一方通行だったケアがほぐされて、福祉施設は「生活の場所」に、そして利用者は「生活者」になる。そこにやりがいがありますし、少しでもそういった空間がつくれるように頑張っていきたいですね。

福田 本当に語り尽くせないテーマなんですけれども、本当に重要な視点がたくさん散らばっていたと思います。これから施設を運営される方も、計画される方も、そうでない方も、今後の活動に生かしていただければと思います。皆様、ありがとうございました。

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